ナトロン湖バイクトリップ または再会について
午前11時。
太陽がジリジリと照らす平原の先に、イスの形をした巨岩があった。
地元で”神様のイス”と呼ばれる岩。
その麓で
「セーアイ!ありがとうね !またね。」と手を差し出し、握手をすると、
マサイの友人セーアイは言った。
「もうここから先は、絶対道に迷わないから、モジャカモージャ(=まーっすぐ)
この道をまーっすぐ行くだけだから、モジャカモージャ。また来なよー!」と、
手を握って返した。
(自慢の中国製のバイクに乗ったセーアイ君)
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セーアイとの出会いは、2年前、フラミンゴの撮影の時。
僕らは、フラミンゴの営巣地の近くで、キャンプを張っていた。
そこに、一番近くに住むマサイの一家がセーアイの家族で、彼にお願いして、道案内をしてもらったり、荷物を運んだり、スワヒリ語をしゃべらないマサイの通訳をしてもらったり、撮影の手伝いを色々してもらっていた。セーアイはサファリ会社と仕事したこともあり、辺りでは珍しくスワヒリ語が通じた。面長なウマズラとちょっと甲高い声が印象的だった。
だから、今回、赤いマントをまとったマサイの野次馬たちの人だかりの中に、彼の顔を見つけた時は、思わず声が出た。
「おい!覚えてるか?!」と呼び止め、ヘルメットやサングラスを外し、顔を見せた。
すると、セーアイは歩いて寄ってきて「オーオー!ノダかー?!元気か?!」
3日前、アルーシャをタンザニア人の友達マシャカとバイクで出発して以来、キャンプ地に辿りつけるかは自分の記憶だけが頼りだった。そして、セーアイの甲高い声を聞いた瞬間、2年前の記憶が、一本に繋がった。
「よーし!あの2年前のキャンプ地に連れてってくれ!」と頼むと、セーアイは自慢げに今、流行の中国製のバイクを引っぱり出してきて、案内してくれた。夕陽が落ちるナトロン湖。湖面がキラキラと輝き、うっとりする夕陽だった。
でも、2年前に来た時とはだいぶ違った光景だった。その時、数千羽いたフラミンゴの姿は一切見られなかった。
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3日前、アルーシャを出発した時の使命、それは「フラミンゴの卵を目で見て、確認してくる」こと。
フラミンゴの子育てを撮影したいが、いつ子育てするのかが分からない。だから、湖に巣や卵が確認できたら、日本からロケ隊を呼んで、撮影する。卵がなければ、今シーズンはロケを見送る。そんな目的で偵察にやってきた。計画は3年目になる。ここ数年のフラミンゴの飛来するパターンは、かなり狂っているようだ。
特に今年は、エルニーニョの影響で雨が多く、フラミンゴの繁殖行動が見られなかった。卵を温めたり、ヒナたちを集めて保育園のようにして育てる姿が見たかった。
しかし、残念な結果だった。それでも、2年前に来た同じ場所に、たどり着いた充実感と疲労感が身体を満たしていた。さらに湖岸を歩き、細かく調べ、調査は終了。卵のカラが数個見つかったが大規模の繁殖の形跡は見られなかった。今年はフラミンゴのハズレ年だ。アルーシャに戻ることにした。
(湖岸で見つけたフラミンゴの卵。カラが数個見つかったが繁殖の形跡は見られなかった。)
そして、別れの際、”神様のイス”の麓で、セーアイは言った。
「もうここから先は、絶対道に迷わないから、モジャカモージャ。
この道をまーっすぐ行くだけだから、モジャカモージャ」
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それから僕らは「まーっすぐ、道なりに」進んでいたら、完全に迷っていた。
「道」と言っても獣道に毛が生えたような道で、迷うのには、一時間もかからなかった。それに加えて、飲み水もなくなり始めていた。前を走っていたマシャカがバイクを止めて振り向いた。
「道が見当らない。迷ったみたいだ」
焦った顔をしている。
彼は「水がほしい」と。
分け合っていた最後の500ミリをグビグビと飲んだ。
不平等がないように、二人で飲み切り、終了。これで持っている水がすべてなくなった。
そう思った途端、遭難?!一抹の不安が頭をよぎった。
ジリジリとてっぺんから陽射しが、照らしていた。
心の中で「冷静に冷静に」と言い聞かせて、先を急いだ。
迷った合間合間に、エンジンを切る。
すると耳を澄ましても、人の気配や人口音はまったくしない。鳥たちがいつもどおりに鳴いていた。足跡は家畜のものが一切ない。とにかくキリンが多い。キリンの足跡がやたら目立つ。キリンたちは、時折、薮の上から首を出し、距離を保ったままこっちの様子をずーっと伺っている。むしゃむしゃむしゃ、、、一定のリズムを崩さないで、アゴを動かし続けている。人間たちに邪魔されない自分たちのリズムを楽しんでいるみたいだ。
キリンは道を知っているに違いない。ドラえもんの「翻訳コンニャク」があれば、道が聞き出せるのに、、、変なことが頭をよぎって、我に返る。そして、妄想を置き去るように走り続ける。
また、マシャカが急に止まった。
「本気で迷ったよ」と弱気な顔を見せる。体とバックパックの間はグッチョリ汗で湿ってる。道だと思って頼りにしていた轍には、すぐに薮が覆い被さり、デッドエンドになった。引き返して、別の尾根に走る。それでも道はなくなり、ことわりもなく崖になったり、谷間になったりした。いくら走っても、人間の気配はない。「冷静に冷静に、、」と自分に言い聞かせて、だいたいの方角で、来た道を戻ろうとした。その時、ひらめいた。
「タイヤ痕を探そう!」と自分たちのタイヤ痕を頼りに走り始めた。
しかし、あたりを数回、回るうちに、あちこちにタイヤ痕がつき、ますます自分たちがどこにいるか、分からなくなった。アテ勘で、ぐるぐる回っていると、先行していたマシャカが、また泣きそうな顔をして、引き返してきた。
「完全に迷ってるよ 。ここはさっきハマった谷だよ、、、」
表情からマシャカがパニック状態なのが分かった。
陽射しはジリジリ、、。
汗はダラダラ、、。
ワライバトがクークークックー。
ワライバトがいつも通りのトーンで鳴き続ける中、僕らは彷徨い続けた。
岩場で行き止まりになり、崖で行き止まりになり、薮で行き止まりになって、八方塞がりになった。
すると、ある草に覆われた丘が現れた。
その丘には、静かな水たまりがあった。野生動物の水場だ 。そして、水たまりに、突然、何百ものチョウチョが舞ってきた。時間が止まったような森の一角。水たまりに四つん這いになって、口をつけて、水たまりの水を飲んでしまいたい衝動にかられた。近くに来たシマウマがこちらを気にしてる。遠くではキリンが眺めている。いかん、いかん!
雰囲気に吸い込まれそうになるのを断ち切って、エンジンを吹かし、分からぬ道を急いだ。
バイクに乗っている時、頭の中は静かだ。
走りながら誰とも話すことは出来ないし、両手は塞がっている。エンジン音を除けば、頭の中は静かなのだ。その静かな頭の中で、いろんな心配や雑念が、浮かんでは消え、消えては浮かぶ。
「今日アルーシャに戻れるのだろうか?」、
「今日はどこで寝るのだろうか?」から、
「昔、行った中華屋での彼女との想い出」
「小学生のときの記憶」
「今朝の会話」、、、。
何の脈略もなく浮かんでは消え、消えては浮かび、そして、突然、思考が途切れる。
岩場にバイクがハマって転ぶ。
150kgはある車体とともに放り出され、スネを打つ。
痛ーーーーッ!!
彼女の記憶や、小学生の時の記憶は、痛みとともにヤキゴテで脳みそに焼き付けられるように、刻印される。痛みにもだえながら、数分をやり過ごすと、思考は完全に途切れていた。そんな切れ切れの記憶とともに分からぬ道を急いだ。
口の中はカラカラ、おしっこをすれば、火がでるほど濃く、熱い。
(荷物を積んだバイクはちょっとしたハンドルミスですぐ倒れ、その度にマシャカと一緒に起こしあげた。)
いつの間にか、薮が少し開け、なだらかな草原になった。
道はないが、下り坂の草原なので、岩場よりはだいぶ楽だ。
誰か人に聞けないものかと、辺りを見回すと、なんと木の下にバイクが停まっていた!
人は誰もいない。2時間ぶりに見る人間の痕跡は、それが、安物のバイクでも、天使のように見えた。木の根本にたどり着くと、下に崩れ落ちるように座った。
ほどなくすると、マサイのオジサンが3人が丘の向こうから歩きで現れた。ちょっとだけスワヒリ語が通じた。事情を説明すると、道案内をしてくれるという。週に一度の市場に向うらしい。「ついて来い!すぐそこだ。30分もかからない。」
赤いマサイのオジサンたちが、バイクに3人乗りする後ろ姿を追いかけた。
草原を抜け、砂地を抜けると,遠くから見えてきた。
それは”神様のイス”の巨岩だった。なんと3時間を経て、セーアイが見送ってくれた同じ場所に戻ってきていたのだ。
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市場につけば、水場飲める。ようやく水が飲める。
家畜の水じゃない、ミネラルウォーターが飲める。
市場につけば、水が飲める、水が飲める。
頭の中が”水”でいっぱいだった。
人がまばらにいる市場にたどり着くと、木陰に倒れ込んだ。
すると、周りにはすぐにマサイの人だかりができ、野次馬たちが、覗き込んできた。野次馬と親切な声が混じりあい、
「どこから来たのか」
「どこを迷ったのか」
次々と質問が飛び、説明をしていると、突然、あの甲高い声がしてきた。
「オー!ノーダー!!まだこんなとこにいたのかよー?!やっぱり戻ってきたのか?」
セーアイの声だった。笑いとともに地面に転げた。
「バカヤロー、『戻ってきた?』じゃねーよー。
お前の道の案内が悪いから、とんでもない目にあったじゃねーかよー」
そこから1時間。
普段、あまり飲まないコーラを1本飲んで、英気を取り戻すと、もう1本飲んで、迷った時の話で、マシャカとセーアイの3人で笑い転げた。
「もうダメかと思った」
「水をもっと準備しておけばよかったぜ」
「意見が分かれた時、置いていこうかと思った」などなど。
ともかく元の場所に戻ってきた。もう迷ってはいなかった。再びフリダシに戻ったのだ。
そして、セーアイは言った。
「再会は神様のメッセージだ。はっはっは!」
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僕らは3時間ほど、彷徨っていた。
日常を生きていれば、なんとなく過ぎてしまう3時間。
それとは対極の3時間だった。
「何度も出会う人」と「2度と出会えない人」
「何度もたどり着く場所」と「2度とたどり着けない場所」
意志と無関係に、縁とかカルマとかいうものが利いているのかもしれない。
セーアイにはまた会うような気がする。
フラミンゴもまた見られるような気がする。
しかし「あの丘」には、もう二度と行けないような気がした。
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アルーシャの街が近づいたら、アカシアの花が満開で、花から花へ白いチョウチョがたくさん飛び交っていた。
アルーシャに戻れば、10年ぶりの再会がある。
10年前、ちょうど人生の路に迷っていたころ、よく話を聞いてくれた人が、突然、サファリにきてくれることになった。どんなメッセージを持ってきてくれるのか、またどんなメッセージを渡すことができるのか。
「再会はメッセージ」
セーアイは言った。
野田健太郎
FGASA(南アフリカフィールドガイド協会)公認フィールドガイド、トラッカー。日本エコツーリズム協会会員。 元通信社記者。2008年からタンザニアに在住。「日本語で楽しく分かりやすく」と現地でサファリガイドを始める。インタープリターとして旅行者を案内し現地のオモシロ話を伝える一方、NHKの自然番組の撮影コーディネーターとして、大自然の神秘を映像を通じて届けている。