SAFARI REPORT

サファリレポート

マサイのパーマカルチャー 校内菜園を始めた牧畜民

ここは牧畜民マサイの村、”清水村”。あたり一帯に飲める水はない。

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(写真①:清水村ことンガレセロ村。30年、昔はトタン屋根もレンガの建物なんてひとつもなかった。木が茂った緑の部分は湧水が流れる場所、それ以外は土壌も悪く乾燥がひどく農地には適さない。奥に見える野山が今も噴火を続けるレンガイ山。)

 

 背後にそびえる活火山レンガイ山は、今ももくもくと噴煙を上げ、現役バリバリの活火山。最後の噴火は2008年 だ。その火山灰はベーキングパウダーに近い炭酸ナトリウム分を多く含み、表面水は、飲み水にはならない。人も牛もたちまち下痢を起こす。そんな中、地下の断層から湧水が出るのが、この”清水村”だ。本当のは名前はンガレセロ村。マサイ語で「清い水」という意味だ。

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(写真②:マサイは”神の山”と呼ぶ、レンガイ山は今もバリバリ現役の活火山。最後の大規模噴火は2008年。ベーキングパウダーと同じ炭酸ナトリウムの成分が火山灰に多く含まれ、表面水をたちまちph11のアルカリ性の水にしてしまう。)

 
 
 30年前までは、ここは牧畜民のマサイが、牛やヤギに湧水を飲ませに来る小さな集落だった。土地が火山灰で極端に痩せているため農家はなく、牧畜民のみ。牛糞で作られた家が数件建ち、都会から隔絶された世界。ほんの最近まで、数千年前と同じ生活が営まれていた。長老に言わせれば「道路もなければ、プラスチックもトタン屋根もなかった」そうだ。
 
 そんな村に変化が訪れたのは、ここ15年あまり。
ケニアまで続く道路ができ、湧き水があるこの村はマサイの人々以外にも重宝されるようになった。路沿いには、売店や食堂ができ、道は外部の人々も連れてきた。マサイではないタンザニア人たちも、レンガイ山を見に来る観光客たちも。するとたちまち食料も地元では賄えなくなり、トウモロコシの粉や野菜を100キロも輸送してくるようになった。

 本来、マサイは誇り高き牧畜民。その食生活も徹底して、乾燥に適していた。
日頃の食事と言えば、牛からとれた血や乳が中心。植物性のものはほとんど口にしなかった。植物性のものはと言えば、葉や木の皮や根っこを煎じ、煮汁にして飲む程度。でも、年に数回ある、めでたい祝いの席では、牛やヤギをみんなで持ちよって、毎日、肉、肉、肉、、、。山にこもり、オルプルという「肉祭り」が行われた。それが伝統であり、ふるさとの味。そのことを説明する時のマサイの友達の目は、いつもかがやき、興奮し、口元からはすでにヨダレが垂れ出している。目の奥に、仲間とのいろんな想い出が駆け巡っているのが見える。

 そして、その一方で気づく。
彼らは牧畜と肉食にあまりにプライドがあるため、「本物のマサイは農業なんかしない。俺たちは肉食だぜ」という姿勢がある。

 ところが、そんなマサイが最近、ここ清水村で、かわいらしく農業を始めたのだ。それも村の小学校の校内菜園で。

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(写真③:祭りで伝統的な歌を踊りながら歌うマサイの青年。特に歌がうまかったこの青年は歌のリード役で、みなに一目置かれ、マサイであることへのプライドがみなぎっていた。)

 

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 これまで清水村の小学校は、就学率が低かった。
現代教育に期待していないマサイも多いことが背景にある。昔のように牛飼いをして、生きていれば、学歴なんか必要ない。牛の扱いやマサイとしての振る舞いは、親や親戚が教えてくれる。そもそも、学校に子供を送れば、教科書代、制服代、給食代、、、とお金がかかる。その上、給食は貧相で、トウモロコシ粉を練ったウガリと、煮豆のみ。親にしたって、子供にしたって、学校に行く気が失せる。牛と一緒に野山を駆け回っていた方がいい。
 
 
 しかし、その状況を一変させたものがあった。それは「ウンチ」。

 マサイの牛たちが、毎日、草原に落としていた牛糞。毎日、目にしつつ、まったく気に留めていなかったウンチ。なんと、このウンチを集めることで、給食がおいしくなり、就学率が上がったというのだ。
 

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(写真④:この計画を支援し、牛糞が発酵する仕組みを説明する友人のオカ君。バケツで牛糞が運ばれ、水に溶いて、写真左下の青いビニールシートの中に流し込む。そこで発酵が進みメタンガスが発生する。ガスは配管を通じて給食室に。残りの牛糞は肥料となって、灌漑を流れ、菜園に行き渡る。)

 

 清水小学校では、毎朝、子供たちがホカホカで新鮮な牛糞を、バケツ一杯運んでくる。1年生から7年生までみんな、それぞれの家の牛がその朝、産み落とした取れたてのホカホカのウンチをエッチラホッチラ、バケツ一杯にして運んでくるのだ。低学年の子は高学年のお兄さんお姉さんに手伝ってもらいながら、時にウンチの汁が跳ねて、大はしゃぎしながら、、。そして、これが給食調理の燃料となるのだ。

 彼らは菜園にたどり着くと、牛糞を水に溶いては、菜園の一番隅にある、溝に流し込む。すると、溜まったウンチは発酵し、メタンガスとなる。メタンガスは溝にある配管を通って、学校の給食室までたどり着き、調理用カマドの燃料となる。それまで木を切って集めてきた薪や買っていた灯油は必要なくなった。そして、メタンガスが出たウンチは、アンモニアなど有害成分がない。湧き水とともに、灌漑システムで菜園全体に行き渡る。校内菜園を始めて一年、毎朝毎朝、小学生たちが運び込んだウンチが積もり積もって、痩せた石ころだらけだった荒れ地が、栄養豊富な菜園になってきている。

 この計画は、「パーマカルチャー」と言う自然農法の手法を利用したもので、それまで捨てられていたウンチにちょっとした工夫を加えることで、資源として活用し、生活のために役立たせることができた。それまで、人々が目もくれなかった牛糞が、ちょっとした知恵で小学校の生徒たちの給食となった。木を切り倒して薪をとらなくてよくなった。

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(写真⑤:上から見た菜園の図。菜園の外は乾燥して砂地なのが分かる。写真左上の建物が給食室。メタンガスは配管をつたってここに運ばれ、給食作りに利用される。)

 
 
 ずっと計画を応援してきた若き村長のジョハナさんは、笑いながら話す。
「まずは、給食が楽しみな食いしん坊たちの出席率が上がった。栄養のある給食でみんな元気に勉強して、成績も上がってきた」。

「もっと菜園を充実させ、給食はもちろん、ゆくゆくは観光客にもこの野菜を食べてもらいたい」と熱く語った。

 でも、僕は気になっていたことがあった。そもそも伝統的なマサイは肉食中心で、ほとんど野菜は食べないのだ。

 そこで、思い切って聞いてみた。
「マサイの伝統的な食生活が消えることに危機感はないのか?
肉や牛乳を中心の食事から、野菜を食べるようになることに、、、そして、誇り高き牧畜民マサイとして農業を始めることにプライドは、、?」と。

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(写真⑥:ずっと計画に応援してきた若き村長のジョハネさん。 「まずは、給食が楽しみな食いしん坊の子供たちの学校の出席率が上がった」とうれしそうに話してくれた。)

 

 すると、ジョハナ村長は、頷き一言一言、話してくれた。

「今の時代伝統より、子供たちの教育の方がよっぽど大切なんだ。」

マサイも変化の中で生きている。都会とは違うリズムの波を、必死で乗りこなそうとしているようだ。

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(写真⑦:菜園の端で取れたサトウキビをほおばる子供たち。栄養があれば、勉強にも集中できる。この子達が大人になる頃、この清水村はどんな姿になっているのだろうか、、?)

 

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 今年の正月、10年ぶりに日本で正月を迎えた。

 実家で、母親が作ってくれたお雑煮を前に、座る。海外で観光関係の仕事をしていると、正月は特に繁忙期で、帰省するのは難しい。お雑煮も10年ぶりだ。すまし汁の中に、重なりあった角餅。てっぺんには三つ葉とユズが乗っている。お椀を持ち上げ、汁を一口、、。ダシが染み渡り、三つ葉とユズの香りが鼻をつく。箸で餅を持ち上げて、前歯で噛み切る。ほどよく伸びて、再びお椀に収まった。

 餅を噛むと、慣れ親しんだ”おふくろの味”が口の中に広がる。子供の頃から過ごしたいろんな正月の想い出 がアタマとココロを駆け巡る。お年玉にソリに、チクチクしたタートルネック。雪合戦に、赤くなった姉と妹のほっぺ、、、。笑いながら泣いたこと、泣きながら笑ったこと、、、。なんかホッとする想い出、、、。

「伝統」か「子供の教育」か、、。

 ふたつの気持ちがもつれて、ねじれて、簡単には収まらない。
ふたつとも投げ出しちゃいけない。むしろ、その「伝統」こそ子供に伝えなくてはいけない。胸おどり、目が輝くような想い出こそ、子供たちと一緒に作っていかなくてはいけない。しかし、もしどちらかを選ばなくてはいけなかったら、、。

 時代は、時に酷な試練を突きつける。
ジョハナさんの拳には、その波を乗りこなそうとするチカラがみなぎっていた。

タラフク詰め込んだ10年分のお雑煮は、翌朝、大量のウンチとなって現れた。

2016年1月 ナトロン湖にて

ケンタロウ

野田健太郎
FGASA(南アフリカフィールドガイド協会)公認フィールドガイド、トラッカー。日本エコツーリズム協会会員。 元通信社記者。2008年からタンザニアに在住。「日本語で楽しく分かりやすく」と現地でサファリガイドを始める。インタープリターとして旅行者を案内し現地のオモシロ話を伝える一方、NHKの自然番組の撮影コーディネーターとして、大自然の神秘を映像を通じて届けている。

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