SAFARI REPORT

サファリレポート

シマウマのイナナキ

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それは、一瞬のことだった。

 サファリカーの前方20メートル足らずのところで、乾いた土煙がザザっと上がったと思ったら、草の合間から、足だけが見えた。
まだ少し茶色い、シマ模様の毛並みからして、シマウマの子の足だ。生後1ヶ月足らず。

 1月、タンザニア・セレンゲティ平原南部は、一面、青く茂る。その栄養豊富な草を、生まれてくる子に食べさせようと、700キロの旅を終えたシマウマの「妊婦」たちは、ここにたどりつくと、肉食獣が見ていない隙を見つけて、さっと子を産み落す。青いじゅうたんのような草原に産み落とされた命は、母親に舐められながら、この世を知る。

 10分ほど、寝ぼけていたと思うと、突然、「行かなきゃっ」という具合に立ち上がろうとする。ちょうど週末の深夜、駅で飲みつぶれたお父さんのようだ。

 しかし、彼らのすごいところは、そこから本当にすぐに立ち上がり、最初はプルプルと足を震わせ、ビッコを引くようにだが、すぐしっかりとその細い足で地面を蹴り始めるところだ。細い足を横に走る縞模様は、繊細な筋肉や筋が通る場所で、盛り上がり、生命のたくましさを感じさせる。

 そんな足が、天を仰ぎ、草の間からのぞいていた。それは、しばらく、もがいていたと思ったら、あきらめたように動きを止めた。

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 約30キロの細い体に、約150キロ以上のメスライオンが、牙と爪をむいて、乗っかっているのだから無理もない。それを見ていた母親は、その場を駆け回り、馬のイナナキのような音を上げては、また駆け回る。近くの仲間たちは、列になり、危険から一定の距離をとっている。
「ヒヒーン」「ヒヒーン」
列の中からも時折、イナナキが上がる。
「グワハッ、グワハッ、グワハー」、
母親は、吾が子にしがみつくライオンに、吠えるようなマネをするが、ライオンはいっこうに放しそうにない。母親は、しばらくその場を駆け回り、再び吠える。
「グワハッ、グワハッ、グワハー」

2、3度繰り返し、動きを止めた吾が子とライオンをじっと見つめていたかと思うと、少し空を仰ぎ、
「ヒヒーン、ヒヒーン、ヒヒーン」。

それを聞いた右の列、左の列の仲間たちからも、1回ずつ、同じイナナキがした。それを静かに聞き終えた残りの仲間は、一頭ずつゆっくりと頭を垂れ、再び歩き始めた。

僕はその時、3つの鳴き方の、意味を悟った。
最後のイナナキは、言葉にできない、子を失った母親の嗚咽。そして、それを見守りながら、歩みを止めることができないものの悲しみ。そういったものを全て含んだイナナキ。まるで、葬式で出棺の際に、鳴らすクラクションのようだった。

静けさが戻ったとき、母親は、何万頭の群れに向かってゆっくり歩き、その後姿は紛れてなくなった。

2008年1月
セレンゲティ平原にて ケンタロー

ケンタロウ

野田健太郎
FGASA(南アフリカフィールドガイド協会)公認フィールドガイド、トラッカー。日本エコツーリズム協会会員。 元通信社記者。2008年からタンザニアに在住。「日本語で楽しく分かりやすく」と現地でサファリガイドを始める。インタープリターとして旅行者を案内し現地のオモシロ話を伝える一方、NHKの自然番組の撮影コーディネーターとして、大自然の神秘を映像を通じて届けている。

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