SAFARI REPORT

サファリレポート

お父さんと健太郎のヨガサファリ

1年前に父が他界した。
肝炎が悪化してからの肝硬変。66歳だった。
 
20年間も肝炎を煩っていた父は、ここ数年、会うたびに弱くなっていた。そう感じていた矢先、日本から国際電話がかかってきた。
 

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(4、5年前の父)

 

「もしもし、お父さん?」

「おう。健太郎」いつもの父の口調だった。

「お父さんの肝臓は治療をいろいろやったけど、いよいよダメだ。効果がでない。もう残る手段は肝臓を取っ替える生体肝移植しかない。」

いろいろ聞くと、血液型、体の大きさ、体力などからドナー条件は家族のメンバーの中で僕が一番合致した。

「すぐやろう。俺が肝臓を提供しよう」

僕は精密検査をするために、日本に戻ることにした。

でも、18時間のフライト中、窓の外の暗闇を見ながら、自分の中に迷いがあるのを感じていた。悔しくて情けなくて涙がこぼれ、ひとり声を押し殺して泣いた。

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アフリカに渡って仕事をするようになってから7年。

父との間には気持ちが行き違うことが多かった。一生懸命働いて、大学まで出したのに、アフリカでフラフラしていると父の目には映ったようだ。自分がサファリ会社を設立したと報告しても「いつになったら、まともな仕事につくんだ」「いつになったら孫の顔が見れるのだ」などと愚痴を言われた。そうすると、僕もカッとなって言い合いになり、しばらく大切な話題ができない時期が続いていた。

そして、突然訪れた肝臓移植の話。

一度は快諾したものの、医者の話を聞き、情報を集めて実際のリスク調べるとやはり迷った。一番の迷いは、ようやく手にしたフィールドで仕事を続けられなくなること。そして、父の命が数年伸びても、今後自分の体は障害を抱えていく可能性があるということだった。父には、死んでほしくない。でも、自分の人生も全うしたい。自分に愛するお嫁さんや子供がいたら、全身全霊で守りたいと思うだろう。アフリカに渡ってから、積み上げてきたものを失うのか。でも、父との時間はもっと欲しい。父の体調が行ったり来たりするたびに、心を大きく揺さぶられた。
 
 
しかし、相談したい家族は、みんな「当事者」すぎた。

手術をしなければ死ぬのは夫であり、父である。
手術をすれば傷つけるのは、息子であり、弟であり、兄である。
それぞれの立場があり、相談しづらいところがあった。
 
逆に家族でない人は、とてもやさしく親身になって話を聞いてくれたが、
話が特殊すぎて事情を理解するのがやっと。
でも、刻々と時は過ぎ、容態は変化していき、決断を迫られた。誰に頼ったらいいのか、、。
 
 
 
答えは自分の中にあった。

特に宗教的な生い立ちのない僕は、神にすがりたい気持ちはあったが、お祈りするすべを知らなかった。そこで、昔、週末に座禅会に参加した時のことを思い出したのだ。

深呼吸を繰り返す中、思いつくまま、湧き出るままに考えや感情を野放しにした。
すると、小一時間が過ぎると、不思議と覚悟が決まったり、許せなかった感情が許せたり、時折、新しい発見やひらめきがあった。それまで聞こえなかった”静かな声”が、深呼吸の向こう側に聞こえたのだ。座禅のおかげで自分の覚悟は決まった。
 
 
 
でも、父は死んだ。

治療を尽くしたものの、手術をするまでの体力は徐々になくなり、病室で家族全員が見守る中、ちょっとずつ体が動かなくなり、意識が遠くなり、呼吸がちょっとずつ弱くなって、最後の一息とともに口から血を吐いて、息を引きとった。66年の生涯、最後の一息で吐き出した赤黒い血を見つめ、唖然とした。たったひとつの臓器の不健康で死んでしまうことが不思議でしょうがなかった。

そして、父を失った後も、座禅を組む習慣は残り、やがてヨガもするようになった。一息の大切さを実感するようなった。

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(岩場で休む子ライオン)

 

サファリガイドの仕事を始めたころ、僕は「自然」が不思議でしょうがなかった。

「なぜ、シマウマの群れがこの草原に訪れるのか?」

「なぜこのライオンはこの岩場を好むのか?」

「なぜキリンはこの木の葉を好むのか?」

疑問と仮説が次々と湧き、夢中になった。絶妙なバランスで成り立っている世界が不思議でしょうがなかった。

そして、それと同じくらい、自然の周りに住む人々を紹介するのが好きだった。野生動物のすぐそばで暮らす、牧畜民のマサイだったり、狩猟民のハッザなどタンザニアの自然の恵みを直に受ける人々。自然に翻弄されながら、生きる姿に魅了された。

そして、そのような人たちのところに、都会暮らしにどっぷり漬かった人たちを案内するのがもっと面白かった。

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(マサイの子供たち。小さい頃はヤギ飼いに、そしていずれ牛飼いに。)

 

「えー!こうやってライオンを撃退するの?!」

「こうやって、ハチミツを取るの?!」

「バナナってこうやって植えるの?!」

便利になった都会生活で全く必要のない知識が、生活の中には溢れ、生き生きと輝いてた。それらを紹介していると「自然」からかけ離れてしまった人たちを、再びつなげているような気がした。

でも、父の死で、自分が間違っていたことに気づいた。
 
 

「自然」からかけ離れた人間なんてどこにもいない。

そもそも一人一人の体が「自然」で、最も身近で、絶妙にバランスが取れた「自然」なんだと。

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今、新しいサファリを企画している。

それは、ヨガサファリ。

朝一番のサバンナで、ヨガの先生とともに、朝日に向って全身を伸ばす。夜露でキラキラと輝く草木。水分を含んだ新鮮な空気。アカシアやキリンやゾウたちと同じ空気を肺一杯に吸い込む。夜明けの頃は虫の音のオーケストラだったのが、徐々に鳥たちの大合唱へと変わってゆく。そして、サバンナの朝を堪能したところで朝食へ。そこから動物探しの一日がスタートする。

そして、夕方の陽が傾くころにももう一度。

日中のウォーキングサファリで、こわばった体をちょっとずつほぐす。その日、動物たちとの遭遇や想い出の場面が走馬灯のように頭の中を流れ、一日で感じたことが全身に染み込む。沈むアフリカの夕陽に手を合わせ、「ナマステ」。感謝しながら一日を締めくくる。*脚注①

一息一息、いつもより深い呼吸を通じて、自分の内側と外側の自然が一体になる。その中に日常生活では感じられない感覚やひらめきがあるのではないか。深呼吸の先に聞こえる”声”があるのではないか。そう考えてる。

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(沈むアフリカの夕陽に手を合わせ、「ナマステ」。感謝しながら一日を締めくくる。「ナマステ」(脚注①)とは、インドの言葉で「こんにちわ」「ありがとう」「さようなら」などの意味で使用される。本来は「あなたの中にある崇高な光に頭をさげます」という意味。ヨガの最後によく使われる。)
Photo from : http://www.mindbodygreen.com

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小学生のころ、父に「健太郎」という名前の由来を聞いたことがあった。

すると父は誇らしげに、
「人間はな、健康じゃなきゃなーんにもできないんだ。健太郎の名前はお父さんが一生懸命考えて、つけてやったんだぞ」。

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(動物園でヤギをつかまえる4、5歳の僕(右)、それを見守る父(左)姉(中央))

 
ヨガを世界に広めたインドのアイヤンガー師によると、
「”健康”とは ”体 (Body)” と ”心 (Mind)” と ”魂 (Spirit)”この3つが「完全に調和した状態」

「完全なる調和」

簡単なことではない。

草原にマットを広げ、蓮華座に座る。

深呼吸をし、手を合わせる。
 
 
ナマステ、お父さん、ナマステ。

深呼吸の向こう側の”声”に耳をすます。

(2015年6月 ケンタロー筆)

ケンタロウ

野田健太郎
FGASA(南アフリカフィールドガイド協会)公認フィールドガイド、トラッカー。日本エコツーリズム協会会員。 元通信社記者。2008年からタンザニアに在住。「日本語で楽しく分かりやすく」と現地でサファリガイドを始める。インタープリターとして旅行者を案内し現地のオモシロ話を伝える一方、NHKの自然番組の撮影コーディネーターとして、大自然の神秘を映像を通じて届けている。

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