SAFARI REPORT

サファリレポート

はじめの一歩

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ここに3対の足跡がある。ほとんどサルのような、原始的な足のあと。大きい2組が男で、小さい1組が女のもの。

およそ360万年前、我々の祖先の3人が、火山灰が降り積もった原っぱを渡ったときの足あと。雨が降ったが直後で、くっきり足跡が残った。近くからは、ウマの祖先の足跡、トリの卵の化石なんかも見つかっている。
ここ、ンゴロンゴロ自然保護区のオルドパイ渓谷には、世界で最も古い二足歩行の痕跡がある。

我々の祖先は、世界のこの辺りでサルから枝分かれをし、2本の足で旅にでた。
そして道具や言語などを覚え、5万年前、約150人の集団がアフリカから飛び出した。中東、オセアニア、ヨーロッパ、アジアと散らばり、当時、凍っていたシベリアとアラスカの間のベーリング海峡を渡って、一気に北米、南米へとたどり着いた。
この5万年にわたる人類の旅を“グレート・ジャーニー”と呼ぶ。

この旅に出た当時、人類はみな肌は黒かった。しかし、後に移動した先の環境に適応して、変化していったという。不思議なもので、「東洋人が目が細いのは、ヒマラヤを超えた祖先が、雪眼にならないように変化したためだ」とか。「中東の人が鼻が大きいのは、砂漠で鼻に砂が入らないようにした進化」とか、読んでいると諸説ある。

最近のDNA調査で、人類は皆、その群れの1人の母親と、1人の父親に、たどり着くということさえも分かった。

川を渡ったか、谷を越えたか、山の尾根に乗ったか、沿ったかで、後に、「民族」や「人種」が異なることになったと思うと不思議だ。もちろん、長い年月をかけての話だが、もし、川に差し掛かった兄弟がいたら、「兄貴、どうする?川を越えるか」「俺は残る」なんて会話が、後に民族や人種の違いを作ったと思うと少し妙なのだ。

関野義晴さんという冒険家のお医者さんが、この旅を、逆回りに、自転車、カヤックや徒歩など、すべて人力だけでさかのぼった。南米の最南端から北上し、アラスカからユーラシア大陸へ。大陸を横断し、アフリカの足跡が見つかったこの渓谷をゴールと定めて、、、。
関野さんはどんな思いでこの渓谷を見下ろしたのだろうか?


僕はこんなことを思いついた。 タンザニアで生活していると「KAKA」と呼び合うことが度々ある。スワヒリ語で「兄弟」という意味だが、そのように思えるヤツにも時折会う。

例えば、よく仕事をするガイド仲間。彼ともよく「KAKA]と呼び合う。そして、もちろん、いつもではないが、時折、直感的に、“兄弟”のように意思が通じることがある。細かく、アレコレ言わずに、、、。

普段はそんな柄でもないが、人類が「はじめの一歩」を踏み出したこの渓谷に立つと、こんな変なことを思いつく。

“人類、みな兄弟“もあながち・・・
みーんなのルーツがここにあるのだ。

2009年1月
ンゴロンゴロ ・オルドパイ渓谷 ケンタロー

 

ケンタロウ

野田健太郎
FGASA(南アフリカフィールドガイド協会)公認フィールドガイド、トラッカー。日本エコツーリズム協会会員。 元通信社記者。2008年からタンザニアに在住。「日本語で楽しく分かりやすく」と現地でサファリガイドを始める。インタープリターとして旅行者を案内し現地のオモシロ話を伝える一方、NHKの自然番組の撮影コーディネーターとして、大自然の神秘を映像を通じて届けている。

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