SAFARI REPORT

サファリレポート

キリマンジャロの白い夢

6241

 

山は嫌いな方だった。

その昔、旅先のネパールで標高5500mのトレッキングに挑戦した。連なる山々は美しかったが、登頂日は高山病で、頭が万力で締められたように痛かった。
「なんで金払ってこんな思いをしているのだろう」。貧乏性の僕の頭の中は、そればかりがめぐり、いつしか山の美しい記憶は消え、山は「なんで~」にすり替わっていった。
それを揺さぶるきっかけが10数年ぶりに訪れた。時差を考えない無神経な友人からの誘いの電話。「2月にキリマンジャロ登り行くけど、行くでしょ?!」寝起きで判断のつかない自分は「おう、いいよ」なんて答えて、電話を切って寝た。そして「忙しい」と、ありきたりの言い訳をして、ろくにトレーニングもせずにいたら、突然、出発日が訪れた。


キリマンジャロの頂上は南緯4度。赤道からたった約360キロ南にある。麓ではバナナの木が茂り、景色も“赤道”らしい。しかし、標高をあげて行くと、景色はどんどん変わって行く。木々は次第にまばらになり、いずれ岩石とコケに、頂上付近ではすっかり氷の世界だ。5つの世界を抜けると言われ、赤道から南極に行くような温度差を6日間で体感する。酸素は薄く、高山病になる人も多い。

まずは、森に囲まれたゲートを通り、訳もわからず、ずんずん緑の中を進んでいく。我々の背たけでは、森に隠れた山の全体像はまだ見えてこない。どんどん山の懐に入ると、徐々に欝蒼とした熱帯雨林になる。枝葉から雨が滴り落ちる中を歩く。雨はどこからともなく服にしみこみ、パンツまでズブ濡れだ。じっとしているとすぐに体温が落ちるので、ひたすら歩き続ける。合羽を被っていると、雨が耳元ではじけて、話はほとんど聞こえない。「頂上はどんなだろう」ただそればかりを考えて歩く。

時折、色彩が目に飛び込む。湿ったシダや腐った切り株の間から、極彩色のコケや、柔らかいピンク色の花が顔を見せる。酸素が薄くなるほど、色が目を射すようだ。息が荒くなっても、心拍はあがらないように、興奮しすぎないようにシャッターを切る。


2日目のキャンプで3800m。すでに富士山より高い。森林限界を超え、木々はなくゴツゴツ岩の世界だ。そんな世界を横切る。「あの岩が転げ落ちて人が死んだ」とか「この道は封鎖されたのは・・・」なんて山の事故の話が続く。

そんな恐い話も聞き飽きたころ、とある谷に差し掛かった。
見ると登山ルートはどんどん谷を下っていく。谷の真ん中をせせらぎが流れ、わずかに緑をもたらしているようだ。
少し命の匂い感じ、ホッとしたと思いきや、周りを見ると、奇妙奇天烈な植物ばかり。気候に不釣り合いなヤシの木のようなセネシオや「うまい棒」の巨大版のようなロベリアなど。
違う惑星に来てしまったのかと錯覚する。
「大丈夫か?!こんなところで本気で生きてんのか?!」とツッコミたくなるような植物ばかり。僕らが知っている世界とは明らに違う進化の道をたどってきている。
「ふしぎだ―」と手を伸ばし、花をのぞくと、一つ一つの葉や花弁が驚くほどの数重なりあって、繊細に一点を取り囲んでいる。

一枚一枚が鎧となって、生長点を守っている。何百枚も葉や花弁はあるが、本当に重要なのは生長点だけ。それが寒さや乾燥に傷つけられないように必死に守っているのだ。花が咲くのに8年かかると聞き、そっとしてやることにした。
……………………….

登頂の前夜。
夜の10時ごろ、数時間の仮眠から抜けだし、ブーツをはくと出発だ。夜空には、南十字星やらさそり座が、いつもの2倍くらいの大きさで、寝そべっている。
しかし、あまり余裕がない。酸素が薄いし、眠いのだ。はるか麓の街の光はキラキラとまたたき、いつもと変わりない日常を行っている。「こっちは切羽詰まっているのに・・・」と無意味にムカついたりする。

.

2、3歩歩き、息をつく。
2、3歩歩き、息をつく。
この繰り返しで精一杯。ヘッドライトを頼りに夜通し歩く。酸素不足と眠気で頭の中は、ボーっとする。考えは、浮かんでは消え、浮かんでは消え、うまくまとまらない。やがて考えるのを諦め、再び頂上の景色ばかりを想像しだす。
フッフッハ―、フッフッハ―・・・・
自分の呼吸だけが響く。
そして、とうとう眠気が限界に差し掛かったころ、あたりが白み始め、朝の光が訪れた。頂上まで数百m。「どんな景色なのか?!」 と思いながら、見渡すと、なんとまわりは真っ白だ。まっしろ、シロ、白の世界。完全に霧に包まれて、視界10メートル以上見えない。地平線まで広がる大地も、巨大なクレーターも見えない。ただ真っ白の中に立っている。霧はいろんなものにくっついては凍る。手袋やマフラーはもちろん。眉毛やヒゲも凍って、ツララとなる。
白い世界の中で、行き交う人の顔や表情が脳裏に焼きつく。映画でこんなシーンがあったかも。確実に「ヨミノ国」か「夢」の中だ。

しかし、頂上から数十mのところに差し掛かったときだ。
ひとつ風が吹いたと思ったら、視界が一気に開けた。霧がはけ、霧の奥から青白く光る塊が現れた。

「うぉ!氷河だ!“キリマンジャロの白い雪”だ!」
「どのくらい遠いのだろう?」「歩ける距離なのだろうか?」「大きくて遠いのか? 近くて大きくないのか?」・・・・・
比較対象がないので見当がつかない。歩いて行こうか、行くまいか、怖じ怖じしているうちに、また風が吹き、また霧の奥に身を隠してしまった。夢のようだった。


今、下界からキリマンジャロの雪を眺めている。
絵葉書や写真集、自分の写真や他人の写真。めくりながら、あれが本物なのか、これが本物なのかと・・・。
しかし、どれもしっくりこない。あの時の印象とみな違う。それはキツネにつままれたよう。1000ドル払って見た白い夢と、一瞬の氷河の景色。全部夢なのか?!

またも思考は、勝手に走りだし、今度は「もう一度見たい!」にすり替わっている。これが山患いの始まりか、、、。

2010年2月
キリマンジャロ山麓マチャメにて ケンタロー

 

ケンタロウ

野田健太郎
FGASA(南アフリカフィールドガイド協会)公認フィールドガイド、トラッカー。日本エコツーリズム協会会員。 元通信社記者。2008年からタンザニアに在住。「日本語で楽しく分かりやすく」と現地でサファリガイドを始める。インタープリターとして旅行者を案内し現地のオモシロ話を伝える一方、NHKの自然番組の撮影コーディネーターとして、大自然の神秘を映像を通じて届けている。

 |