SAFARI REPORT

サファリレポート

僕のワールドカップ マンデラさんのワールドカップ

628黄金のワールドカップがアフリカに初上陸した。この大陸での初めての大会に、アフリカのみんなの期待がかかる。それが感じたくて、陸路で開催地・南アフリカを目指した。飛んでしまってはつまらない。一週間くらいで着くだろう。フェリーやバスを乗り継いで四〇〇〇キロの旅に出た。

目指す南アフリカ共和国は金やダイヤなど地下資源が豊富で、エジプトに次ぐアフリカ第二の経済大国。大陸全体の5分の1の富を生みだす。しかし、同時に、最後まで白人支配が続き、貧富の差は今も大きい。白人支配制度が終結して新政府になってまだ15年。若い国だ。この国でできなければ、他のアフリカ諸国では、国際競技は開催不可能と言われてきた。そんな南アでも直前まで治安問題が取り上げられ、開催が危ぶまれた。果たしてどんな様子なのか?!アフリカにかかわる一人として、南アの“今”が見てみたかった。

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ヨハネスブルグ・マンデラハウス
旧南アフリカ政府の人種隔離政策に反対し、国家反逆罪で27年間も牢獄にプチこまれたネルソン・マンデラさん。長い闘争を経て解放された彼は、全人種が参加した初の選挙で大統領となった。投獄されるまで住んでいた家は今や“マンデラハウス”と呼ばれ、重要な観光ルートになっている。かつては黒人居住区だったが、今は白人、黒人、アジア人、人種問わず世界中から観光客がやって来ては、写真を撮って、お土産を買っていく。小さい家の中には、黒人のおに―ちゃんがいて、アパルトヘイトや家族の歴史、マンデラハウスを保存する意義などを熱く語ってくれた 。
そのおに―ちゃんが、ふと話の合間に指さしたパネルがあった。そこには何年も旦那の帰りを待った妻ウィニーさんの言葉があった。Wife of a freedom fighter is like a widow(“自由の闘士”の妻は未亡人のよう)
おにーちゃんは、実は投獄中に彼女が浮気していたことが後に、発覚し、夫婦が離婚したことも丁寧に教えてくれた。どう受け止めていいか、戸惑った。「不誠実な妻」とするのか、「政治が引き裂いた夫婦仲」とするのか、、、。その間、彼女自身も投獄され、拷問され、息子を交通事故で亡くしている。妻の肩を持つのか、旦那の肩を持つのか、、、、。

ただこの言葉に「27」という数字より、マンデラ夫妻や南ア人が過ごした重い時の流れを感じた。


日頃、「ジャッキーチェン」とか「ジェット・リー」とか呼ばれるのに、慣れてしまったのか、南アで人種問題で嫌な思いは一度もしなかった。南アには、いろんな人種がいて、東洋人も見飽きている。よっぽどの田舎ならともかく、ヨハネスではちょっと黒髪で、目が細いくらいでは、振りかえってもくれない。ちょっと淋しいような、清々しいような開放感でよく街を歩いた。
開幕前日のことだ。
今ではおなじみとなったブブゼラ。この日は、南ア中で吹きまくって、ブブゼラの世界記録に挑戦しようというイベントがあり、会場のショッピングセンターに向かった。駐車場にステージが設けられ、フェイスペイントした人たちが、ブブゼラを手に続々と集まってきた。百キロ超のアフリカンママや金髪青目の少女、インド人のおっちゃんも、混血の兄ちゃんも南アにいる人種のほとんどがいた。
そして、正午ちょうど。
MCの合図とともに一斉に吹き出した。耳をつんざくようなけたたましさだ。見渡すと、ブブゼラを吹くという単純な行為にみな熱中し、力の限り吹きならしていた。すると、MCが突然「ストップー!ストップ!!」と声をかけた。

「静かに!静かに!静かに!」
数分して、ようやく興奮した観衆が静まると、MCが一言。「無事、記録達成しました! ではここで南ア国歌の斉唱です!」と。
前奏が流れると、みな次々とブブゼラを置き、胸を張って歌い始めた。アフリカンママも、金髪少女も、インド人のおっちゃんも、混血の兄ちゃんも、ちっちゃい子供までも見よう見まねで歌っている。

God Bless Africa!!
God, we ask You to protect our nation Intervene and end all conflicts Protect us, protect our nation, our nation,(中略) And united we shall stand, Let us live and strive for freedom In South Africa our land.」
(神よ、お守りください。この国をお守りください。仲介し、争いを終わらせください。我々をお守りください。そして我々はひとつとなり、ともに生き、自由を求め励みます。この南アフリカの地で)

美しい国歌だった。
アパルトヘイト時代は、反逆歌として禁止され、歌えば投獄されたこの歌だが、マンデラ政権時代に人種の融和を目指し、5カ国語で書き直され、この国の複雑な人種構成や困難が表れている。
今、目の前の観衆は、みな胸を張って歌っていた。新南アフリカになって、たった15年。若い国だが、大会を通じ、国のアイデンティティーが育みつつあった。共通の経験を経て、苦しみを経て、喜びを経て、国が一つになって行くのを目撃している気がした。

開幕直前に交通事故で孫娘を亡くしたマンデラさんは、開会式を欠席した。すでに92歳のおじいちゃんで、政治の舞台から引退しているが、今回の開催のために、影でたいへん力を尽くしたと言う。そして誰よりも大会を通じ、国の融和を願った人だろうが、クロージングセレモニーの出席も最後まで危ぶまれた。

しかし決勝戦直前、パンパンに観客で詰まったスタジアム。MCがマンデラさんの登場を伝えると群衆は、ドォ―っと湧き、彼の愛称を叫んだ。 「マディバ、マディバ!!」
彼はカートに乗って表れた。
「マディバ、マディバ!!」
スタジアム中が吠えていた。
「マディバ、マディバ!」
何千個ものキラキラ光るライトを見上げながら僕も吠えた。

「エトーみたいなサッカー選手になって、お母ちゃんに家を建てたい」と夢を語った少年。「私はアフリカ人よ」と胸を張って話してくれた金髪の南ア女性。「どうだいオレの国は?いいとこだろ?」と話しかけてきたインド系の商店主、、、。

いろんな顔が浮かび、“人種”とか“国”とか“故郷”という言葉とぐちゃぐちゃになって溶けていった。
「マディバ!マディバ!」
胸の奥がとても清々しかった。

マンデラさんにとってはどんなワールドカップだったのだろう。

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2010年8月
アルーシャ自宅にて ケンタロー

ケンタロウ

野田健太郎
FGASA(南アフリカフィールドガイド協会)公認フィールドガイド、トラッカー。日本エコツーリズム協会会員。 元通信社記者。2008年からタンザニアに在住。「日本語で楽しく分かりやすく」と現地でサファリガイドを始める。インタープリターとして旅行者を案内し現地のオモシロ話を伝える一方、NHKの自然番組の撮影コーディネーターとして、大自然の神秘を映像を通じて届けている。

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