SAFARI REPORT

サファリレポート

マサイのクリスマス アブラヘム青年を訪ねて

アブラハム・マルカ・ライザ。
クリスマス・イブの真っ昼間、そんな名前の青年を探して、もう何時間か土煙をあげて、車を飛ばしていた。

名前の最後の「ライザ」とは古くからあるマサイの一族の名前。この青年もマサイだ。
家の裏に住む、「兄貴分」を慕ってよく訪れた。二十一歳のアブラハムは、家庭の経済事情で進学が遅れ、今、高校三年生の勉強をしている。好奇心が強く、言葉の吸収も早いので、一日の終わりに、話し出すと、いつも話題は尽きなかった。その日の出来事から始まり、タンザニアのこと、日本のこと、男のこと、女のこと、、、、。
ある夕方、「クリスマスはどうするんだ?!」と聞くと、「実家に帰る」という。「って、お前、キリスト教徒なの?!マサイで??」「そう、僕クリスチャン」と胸元からプラスチックのローザリーの十字架を見せた。思えば、アブラハムという名前は、聖書に出てくる名前だ。
そして「マサイは牛飼いだから、やっぱり、羊飼いの話とかに共感するの?!」とひやかしていると、気づいたらクリスマスは奴の実家にいくことになっていた。どんなクリスマスになるのやら?なぜクリスチャンになったのやら?

僕の住む街・アルーシャから舗装道路を2、3時間、オフロードをさらに4時間。途中でヒッチハイクしていた、怪我人のマサイとその友人を乗せてやった。街の病院に行った帰りだという。ついでに、通りかかった10歳くらいの少年も乗せ、ワイワイ賑やかにナトロン湖の近くの村に到着した。
体中、髪の毛の中まで入った土埃をはたき、見上げるとレンガイ山(2890m)がそびえたっていた。マサイが「神の山」と呼ぶ山。今も活火山でモクモクと、煙を上げている。近くのナトロン湖はフラミンゴの繁殖地として有名で、雨期になると雨は、幾重にも重なる丘々を、一雨ごとに緑に染めていく。草原は風に波打ち、それを眺めていると、牛飼いでなくともウットリしてしまう。
グビグビグビ。ふーっ。
水を飲み、いよいよ聞き込み開始だ。1000人足らずの村だからすぐに見つかるだろう。

坂を上がっていくと、小学校の教室くらいの大きさの教会があった。二十四日だったので、ミサでもやっているのかもしれない。そーっと、覗いてみた。なんだか様子が違う。床に寝たまま、痙攣している人、トランス状態で壁に向かって叫び続けている人、立ったまま「ハレルヤ!ハレルヤ!」と連呼している人。そのまわりを、訳が分かってない子供たちが、ちょこまか駆け回っている。どうやら熱狂的なミサの最後に迷い込んでしまったようだ。

走り回る子供をつかまえ、「あのうつぶせになったやつを呼んできて」と頼んだ。こんな狂信的な教会に属していたのか?!少し後悔しながら待っていると、連れてこられた男は、アブラハムではなかった。同じ名前の別の人物だった。ホッとして、せっかくのトランス状態を邪魔したことを謝り、早々と辞した。
マサイの奥地で遭遇した変ったクリスマス・ミサ。「なんだ、ありゃー?!」案内役の少年とはしゃいだ。不思議な国に迷いこんだようだ。


さて、「アブラハム」で検索した聞き込みは袋小路に終わった。どういうことだろう?もう一度、村の中心の売店に戻り、聞き込みを再開した。
バーに行ったり、市場に行ったり、、、。、今度は年恰好や学校の場所などから、絞り込んだ。

すると、アブラハムと同じ年くらいの青年が、「それはマルカだよ」という。「マルカは昨日、友達の日本人がくるってずっとここで待っていたよ」と。この村にめったに日本人は来ない。なかなか信憑性が高い。今度はこいつを案内役に仕立てて、歩き始めた。土壁のマサイ家屋や牛の間を抜け、ある家にたどり着くと、大声で笑っているアブラハムを見つけた。こっそり忍びよると、僕の姿を見つけ走って抱きついてきた。わっはっは!やっと再会できた。そして、喜びをひと通り分かち合うと、訊いてみた。
「なんで『アブラハム』が通じないの?」
「村では親からもらったマルカで通っているんだ」と彼は答えた。


その晩は、彼の所属するルター派の教会でクリスマス・ミサがあるというので、行ってみることにした。ルターのマサイ的解釈か?!マサイの家が土壁なら、教会も土壁だ。イエスが生まれた厩は、このようだったのかも?
ここが教会だとわかるのは、かろうじて、正面とてっぺんに、十字が飾っているから。正面の十字架は、十字架というより、壁の土を塗らなかった部分。木枠がむき出しで回りを白いペンキで塗っただけの代物で、バチカンやヨーロッパの何とか大聖堂に比べると、あまりに原始的すぎる。

中には、洋服とマサイの伝統衣装を着た人が半々くらいで、30人分ほどの席はいっぱいだった。
正面の十字の前では、二人のお男が立っていた。一人はマサイの伝統衣装を着て、一人は、ポロシャツにズボンといういでたちだ。よく聞くと、マサイの方がマサイ語で説いた後、ポロシャツがスワヒリ語で説いている。なるほど、教育やテレビの放送が行き届いていない僻地では、片方しかわからない人が多いのだ。
灯油ランプの明かりのもと、二人の語り手が交互に、イエスがベツレヘムの厩で生れた晩について語り、世界の向う側が見えそうなくらいデッカイ穴を耳に空けた聖歌隊が、まっ赤な伝統衣装でユラユラと讃美歌を歌い、夜が更けていった。


翌朝、テントから出ると、いきなり、昨日酒臭かったおっさんが握手を求めてきた。今朝も酒臭い。訊いてみると、どうやら毎日のことのよう。
思えば、村の中で見かけた中年以上の男たちの多くは、日長、木の下で居眠りをしながら、酒を飲んでいる。最初はお祝いか何か大事な話し合いでもしているのかと思ったが、そんなことはなく、ただ蜂蜜酒やサトウキビの酒を飲み続けている。

このおっさんは「よろしく」という意味のようなことを言っているようだが、すべてマサイ語で分らない。スワヒリ語は一言も解さない。小学校にも行きそびれたのだろう。握手をしたまま、僕の手は離してくれない。厳しい自然環境のせいで皮膚はカサカサで、充血したまなざしは、実際の歳を10は上回って、70歳を越えて見える。

実は、これがアブラハムの父親だった。カサカサの手で変な東洋人の手をしっかり握って、全部マサイ語で、「息子をよろしく」と頼んでいた。
かつて、お父さんも幾分、家畜を持っていたが、今はほとんど働かず、昼間から酒を飲んでいる。
ちょっと前まで、マサイの壮年期の男たちは、村の内外のもめ事の調停や交渉することが、大切な役目で、壮年のオルムルオたちの大事な仕事だった。

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しかし、最近は、現代の警察や司法制度にとって代わられた。交通の発達でそれまで貴重だった酒も容易に手に入るようになり、自然と酒に手が伸びるようになった。
「そんな悠々と暮せていいじゃないか」と思う反面、子供に疎ましがられ、お父さんの後姿は少し寂しげだ。嫁を5人もらい、子供も20人近くいるが、学校に通わす金はない。あった金は酒に代わり、腹の中へ消えていった。アブラハムは、そんなのが嫌で教会に行った。
家には金がないと学校に通わせてもらえなかった。しかし、教会に行けば、寄付された文房具や本が手に入った。勉強も教えてくれた。「父親のように社会において行かれたくなかった」と話す。
ある日、教会に通っていることが、父親にバレて、殴られた。アブラハムは「教育を受けたい」と闘った。当時14歳の彼にとって、「教育」と「教会」は同じ意味、外の世界への扉だった。こうして「マルカ」は「アブラハム」になったのだった。


そんなアブラハムのことで最近、気になることがある。
初めてあった2年ほど前、結婚について「伝統的なマサイの女性がいい?それとも現代的な女性がいい?」と聞くと、いつも現代的な街の女は穢れたもののように語り、「恥ずかしくて伝統的な女性以外お嫁に貰いたくない」と話していた。
それが、ついこの前、話した時には、ブロンドのアメリカ人の女の子にお熱をあげていた。


伝統的がいいのか?
現代的がいいのか?
社会の変化に乗るのか?
反るのか?
それぞれの時代を生きる者たちが、選択していく。誘惑に惑わされながら、時に必要に迫られながら、決断していく。そして、その善悪を外の者が判断することはできない。

ただ、できるのは「変化していく価値感の中で、次の世代の子供たちに尊敬される大人になっていくこと」だろうか?すると「尊敬される大人」とは? 「尊敬される父親」とは?
帰り道、おっきな雲を見上げ、そんなことを考えた。

2011年1月
ナトロン湖にて ケンタロー

 

ケンタロウ

野田健太郎
FGASA(南アフリカフィールドガイド協会)公認フィールドガイド、トラッカー。日本エコツーリズム協会会員。 元通信社記者。2008年からタンザニアに在住。「日本語で楽しく分かりやすく」と現地でサファリガイドを始める。インタープリターとして旅行者を案内し現地のオモシロ話を伝える一方、NHKの自然番組の撮影コーディネーターとして、大自然の神秘を映像を通じて届けている。

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