SAFARI REPORT

サファリレポート

95歳のふたり「ザンジバル島の歌姫の場合」

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“風待ちの島”ザンジバル。

 

アフリカ大陸の東、四十キロに浮かぶその島には、大陸と少し変わったオーラが漂う。大陸に沿って、南風が4ー9月まで、北風が11ー3月までに吹く。古来からこの島で多くの船乗りや商人がこの季節風に乗って訪れた。ペルシャやインド、ポルトガル、、、。そして、19世紀初めには、オマーンが貿易の最重要拠点として都を置いて、栄えた。島はアラブの影響を強く受け、今も95%以上がイスラム教徒だ。そこにアフリカ大陸から文化が流れ込み、絶妙に混じり合い、建築から習慣まで、面白いケミストリーが見られる。

 

この島にひとりの歌姫がいる。その名はビ・キドゥデ、御歳95歳。世界で活躍するミュージシャンの中でも、最高齢だろう。彼女の音楽のジャンルは、「タアラブ」と呼ばれ、もともと王族らの宮廷音楽で宗教色も強かった。しかし、1930年代、アフリカンドラムやスワヒリ語を導入し、大衆化。恋愛や日常的なことが歌われるようになって人気を博す。今も人気で、その筆頭がこの歌姫。突然、アルーシャに来ると聞きつけ、見に行った。

 


 

ステージ開始予定は7時。
しかし、9時半を回っても全く出てくる様子がない。

 

「もう騙されたんじゃないの?」とつぶやきながら、ビールを買いにいくと、突然、横を通りすぎた。
小さい。身長は150センチくらいしかない。映画“スターウォーズ”の長老ヨーダに会ったら、こんな印象を受けるのだろうか。女とか男という域ははるかに超え、分類がつかない小動物のよう。観客に拍手で迎えられる中、オレンジの衣装で着飾った歌姫は、しっかりとした足取りでステージに向かった。

 


 

彼女の人生は謎が多い。だいたい、95歳だって、“推定”なのだ。
しかし、物心がついたころから、歌が好きだったのは確かなようで、10歳のころ、当時人気の歌手の練習をよなよな家を抜け出して見にいき、歌をすべて覚えるまで聞き続けた。
13歳の時、親の取り決めで結婚するが、数日で逃げ出す。しばらくアフリカ本土で時を過し、ハダシでタンザニア中を行脚し、音楽活動を続けた。この頃、イスラム女性が着るベールをやめ、頭髪をぜんぶ剃った。
彼女は30歳で、もう一度結婚した。音楽活動をやめての結婚だったが、すぐに夫の浮気が発覚し、破局。「エイのシッポでひっぱたいて追い出したてやった」と今は笑いながら語る。子供には恵まれなかった。

 

結婚はうまくいかなかったが、ほかにも才能があった。
結婚式当日、花嫁に施すヘンナアート。そのボディペインティングの達人だ。また、島には、初潮をむかえた女の子を集めて行う“ウニャゴ“という秘密の儀式がある。踊りを通じ、性の秘儀や性教育をするこのウニャゴでも、最高位の「師範」。自分の子供はいないが、7人の兄弟らが残していったたくさんの子供や孫や曾孫、玄孫らと暮らしている。
そして、70歳を超え、ドイツのラジオ局に発掘され、初めてCDをリリース。2005年には国際音楽祭で大賞に輝いた。

 


 

ステージで2曲歌い、小休止。
舞台から降りるとすぐにタバコに火をつけた。イスラムだが、タブーなんてへっちゃらだ。公然と酒もダバコもやる。僕は隙を見つけ、「ジャンボ!」と話しかけた。
すると、いきなり
「あら、いいオトコね。
どこからきたの?日本?!行ったことあるわよ。2回も。
なんならいっしょに帰ってもいいわよ。いっしょになりましょうよ」と逆にナンパされた。
そして、骨が折れるほどの握手をくれた。手を通じ、生命力がビリビリビリ。まだまだ元気だ。そして、歌姫はビールを一杯ひっかけ、再びズテージに戻っていった。

 


 

ステージの上では、すでに最後の曲。題は「もしも」。
歌姫はスポットライトの下、力強い声で歌い上げている。

 

その曲に、こんな一節があった。
「神が決めたさだめだから、逃れることはできない。だから、私は神が与えるのを待つ。いつか心は喜びで満ちるはず。
アンアンアン・アアアーン!!」

 

どんな「もしも」があったのか、、、。
運命の風に吹かれた歌姫だった。

 

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アルーシャにて ケンタロー

 

ケンタロウ

野田健太郎
FGASA(南アフリカフィールドガイド協会)公認フィールドガイド、トラッカー。日本エコツーリズム協会会員。 元通信社記者。2008年からタンザニアに在住。「日本語で楽しく分かりやすく」と現地でサファリガイドを始める。インタープリターとして旅行者を案内し現地のオモシロ話を伝える一方、NHKの自然番組の撮影コーディネーターとして、大自然の神秘を映像を通じて届けている。

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