SAFARI REPORT

サファリレポート

同じ地面に立つ

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「あのよー、それよー」
ツバを飛ばし、赤ら顔を近づけて、絡んでくるにーちゃんに会った。呂律も回っていない。立ち飲み屋でのこと。
「それ以上近づくなよ、これ以上近づくなよ」と思いながら、話しを聞いていた。

誰しも、近づいて欲しい距離と、嫌な距離がある。それは、人と人の間にもあるし、動物と動物、人と動物にも、そのような距離がある。
そして、それを示すサインが必ずある。

ペットの犬や猫でもこれは見受けられるが、これが、野生の動物となるとそれはより顕著だ。そして、なにより、距離の読み間違いが、命取りになるので、特有の姿勢、視線、しぐさを見せたとき、そのサインは見逃すわけにいかない。
距離は、個体や動物の状態によっても変わる。手負いだったり、子連れは警戒心が増しているから、要注意。また発情期のオスも興奮状態にあり、行動が予想できず、危ない。

時に、お客さんの要望で「ウォーキング・サファリ」や「サイクリング・サファリ」をすることがある。
通常のサファリは、4WDの車の中から、動物を見るがウォーキング・サファリの場合は、歩きで、サイクリングの場合、マウンテンバイクで動物に接近して、邪魔しないようにそっと観察をする。

万一のため、ライフルを持ったレンジャーが同行するが、動物が本気になって攻撃してきたらと思うと、ちょっとゾっとする。
しかし、足跡を追跡して、薮の中をくぐり抜け、足音を潜め、木に身を隠して、こっそり覗きこみ、その先に巨大なゾウを発見したとき、それは少し特別な「ひととき」だ。

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ゾウと三十メートルほどの距離で接近したことがある。
匂いで気づかれないよう、風下から近づき、木の陰からそーっと覗いたが、シャッター音に気づいたのか、ヌっとこちらを向いた。目が合った。緊張感で全身を鳥肌が走った。
同じ地面に立ち、野生の動物と時をともにする。大自然のリズムの中で生きている野生の者と、都市文明の片隅で生きる自分が交差する。

何万年も前、我々の祖先が、巨大な動物を狩っていたころの記憶を目覚めるのか、それとも、ただ小さい肝っ玉が、ビビっているだけなのか、視覚、嗅覚、聴覚、あらゆる感覚器が敏感になっている感覚がある。しかし、その感じは、なかなか言葉で表現しずらい。

車の中なら、いざとなれば、ドアを閉めてしまえば、どうにかなるという気持ちが働くが、同じ地面に立ったときはそうはいかない。対峙し、自然の中で生き抜くものの気迫をダイレクトに受けなくてはならない。すると、人間の体がどんなに、小さくて弱いのか、すぐ分かる。

人間がどんなに偉そうな言葉を並べたって、ゾウが体重5トン、ライオンが250キロで、走るのだって人間よりはるかに速いのだ。敵うはずがない。

またさらに、大自然の中で生き抜いている者は、肉体に負荷をかけているからか、逞しく、シマって見える。初めての時は、迫力に圧倒され、その瞬間に強烈に引き釣りこまれていたのを覚えている。

しかし、なぜ彼らの数が減少し、人間の数は増えているのか。一対一では、決して太刀打ちできないのに、、、。人類は、言語を操り、集団を作ることで、取り巻く自然を生活しやすい自然に作り変えた。そうして、生息域を広げ、数を増やしてきた、、、などなど。
日ごろは、こんなことをまじめに考えるタイプではない。
でも、引き釣りこまれた「ひととき」からふと解放された時、こんなことを、考えている自分に気づいた。そんな効果も、この「ひととき」にはあるのか。

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2008年5月
ウエスト・キリマンジャロにて ケンタロー

 

ケンタロウ

野田健太郎
FGASA(南アフリカフィールドガイド協会)公認フィールドガイド、トラッカー。日本エコツーリズム協会会員。 元通信社記者。2008年からタンザニアに在住。「日本語で楽しく分かりやすく」と現地でサファリガイドを始める。インタープリターとして旅行者を案内し現地のオモシロ話を伝える一方、NHKの自然番組の撮影コーディネーターとして、大自然の神秘を映像を通じて届けている。

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